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私は今、学校に行きたくても行けない皆さんのことを考えています。
そして、そのことで、皆さんがどれだけ苦しんでいるかについて思いをめぐらせています。
どうして皆さんは学校に行けなくなってしまったのでしょうか。思い返してみると心に浮かぶいくつかの光景がきっとあると思います。例えば、ある同級生からひどいいじめを受けていたにもかからず担任の先生も全く取り合ってくれなかった。あるいは、どれだけ辛い思いをしているかを学校に訴えても学校は決して許さないという強いメッセージを発してくれなかった。担任の先生が授業中にあなたの人格を傷つけるようなひどい冗談を言った。皆さんの心の中に浮かぶ光景はこのような辛い光景の積み重ねなのではないでしょうか。
私は思います。日本の学校はいつから子供たちにとって辛い場所になってしまったのだろうかと。
私は思います。私たち大人は皆さんの辛い心にどれだけ寄り添えているだろうかということを。
現在の日本の圧倒的多数の考えは次のようなものです。すなわち、子供は学校に行かねばならない。学校に通えない子供は落ちこぼれであったり、もしかすると病気であったりするかもしれない。
日本の学校はその成り立ちにおいては、子供たちに読む力、書く力、計算する力を与え、そのことを通して子供たち各々が内に秘めている能力を引き出す場として、同年代の子供たちと親しく交わることによって思いやりの心や辛いことに耐える力などの人間力を養う場として、先生をはじめとする目上の人と交わることによって世の中の人間として当然守らなければいけない規則を学ぶ場として作られました。
しかし、現在の日本の小学校中学校の中には、もはや教育の場とは呼べないものが出現してしまいました。大人のひとりとして皆さんに対し、誠に申し訳ないと思います。恐らく、皆さんは今、自分で自分自身を責めさいなみ、辛い心の痛みに耐えているのでしょう。皆さんの中には皆さんの心を分かってもらいたいお母さんやお父さんにさえ十分に受け入れてもらえない方もいると思います。
「学校に行けないなんて怠け者のすることだ」
「子供が学校に行けないなんて世間体が悪くて誰にも言えやしない」など、お父さんやお母さんから攻撃されている方もいると思います。あるいは、幸いなことに皆さんのお父さんやお母さんが皆さんを心から信じてくれ、 皆さんの傷ついた心を暖かく包み込んでくれたとしても、社会が皆さんの傷ついた心に無理解であるがゆえに、皆さんが苦しみから脱することができない、というケースもあると思います。
私は思います、皆さんが苦しむのは皆さんが弱いからでも何でもないのです。皆さんを苦しめるのはこの日本という社会のゆがみなのです。親、教師まで大人がゆがんでいるのです。毎日のように起こる悲惨な殺人事件、高い地位にありリーダーたるべき人たちの責任感の欠如、勇気のなさ、卑劣な事件の数々、これらは、皆さんが生きる社会が狂ってしまっていることを示すものです。
私は皆さんにお伝えしておきたいことがあります。
日本の学校制度の成立のプロセスは歴史的にみて極めて特殊であるということです。
そもそも学校というのは学問をするところです。世界を見渡しますと、中世のヨーロッパで大学は国が大学を造ることを命じて造られたものではなく、その成り立ちにおいては、学問が好きな人たちが集まって設立したというのが重要です。イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学もそうです。時代は下りますが、アメリカのハーバード大学も同じです。すなわち、国家という制度が整備される以前に学問への情熱に満ちた人々が集まって作られたのが大学だということです。
日本の場合はこれと異なります。江戸末期、日本は西洋諸国から植民地にされかかった状態でした。当時の徳川幕府は押し寄せる外国からの圧力に、何ら有効な手を打てずにおりました。また、自らの国のあり方を変えるという自己改革の精神も能力も無くなっておりました。そのため、明治維新が薩摩・長州の志ある下級武士を中心とした勢力によって明治維新が成し遂げられたのでした。このようにして成立した明治政府が当面行なわなければならないことは、日本の国としての独立を守ることでした。そのため、できるだけ手早く国の体制を整えなければならなくなりました。そのため外国から教師を呼び寄せたものです。
明治政府が国家の国のシステムをできるだけ早く整えるために行なわなければならなかったことは官僚制度を整えること、そして役人たちを養成すること、陸軍海軍の軍人を養成すること、そして医者などの専門家並びに専門技術者を養成することでした。
これらの方針に従って、大学が設立されました。大学が整備され、高等学校や高等専門学校が整備され、中学校小学校が整備されました。中学校小学校においては国民が将来どの領域に進出しても困ることの無いような基礎的な読む力、書く力、計算する力が養成されました。国としての統一性を固いものにする必要もあって道徳修身教育が重要視されました。
このような成り立ちから日本の小学校中学校教育においても画一的な教育が行なわれました。
日本は大東亜戦争(太平洋戦争)において手痛い敗北を期しました。その結果、社会の様々な仕組みが大きく変えられました。
国家に奉仕するための人をつくる教育という観点は、良い意味でも悪い意味でも薄らいでしまいました。しかしなぜか、画一的な教育制度というこの一点だけは変わることがありませんでした。
以上は制度上の問題点を大まかに述べたものです。
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